過保護あるいは過干渉と「教育」

2014年06月10日

この時期湿度と気温の変化のせいか、どうも体調がおかしくなります。

ブログも少々サボリ気味になってしまいます。

が、そんなことは言っていられません。期末テスト対策が水曜日から始まります。

その前に、2年生の懇談を行いました。本日までにほとんどの保護者の方とお会い出来ました。

中間テストの結果は1年生時最後の定期テストに比べるとほぼ全員が成績UPしていると言って頂けました。しかしまだ家庭での学習時間であったり、学校のノート、ワーク類などの提出物であったり、テストの点数以外の面でまだまだ問題点を抱えている生徒も多数いることが確認できました。

中二の諸君、授業態度や黒板を写すことは本当に重要ですよ。それらをそつなくこなすことは、テストの結果以前の段階として当たり前にクリアしていくべきことなんです。それができなければテストの結果は、結局通知表の成績に反映されません。

提出物を出していないと、努力してテストの得点がUPしても通知表は変わらず。結果どうせ頑張っても変わらんやん、とやる気がなくなる。

全く見当違いの愚かな話です。

どんな集団でも最低限のルールなどの「義務」があります。それを守ってこそ個人の「自由」が保証されるのです。

「義務」を守らないまま、「自由」だけを主張しても、誰もあなたを認めてくれたりはしません。

窮屈?いやいや。逆ですよ。最低限の「義務」さえクリアしていれば、あとは自由に何をしてもいい、ということに気づかないと。

ま、この話はこれくらいにしてとにかく期末対策を必死で乗り切りましょう。

 

あとは、保護者の方に感謝を。

現在、生徒の保護者のかたの中には、塾からのメールのやり取りから、学校のノートのチェックや宿題の管理をご協力頂いている方が複数いらっしゃいます。場合によってはなくしてしまった学校配布のプリントを他の生徒の自宅まで赴いて(当然生徒と共にです)、コピーをとらせてもらうことまでしてくださる方もいらっしゃいます。

まったく感謝の念に絶えません。ありがとうございます。

過保護?過干渉?いえいえ、まずは強制的な干渉があるからこそ、子供は自主的に「義務」をこなしていけるように進歩するのです。

過干渉とは自律的に行動できるようになっているのに、一から十まで指示、管理してしまうことを指します。

子供だけでは自律的にこなせない「義務」を、できるようになるまでは強制的に「管理」することを、「教育」あるいは「指導」といいます。

すべての保護者の方にできることではありません。覚悟と根気が必要なことです。

今回の懇談中、ある保護者の方がおっしゃった言葉を挙げます。

「勉強をつきっきりで教えることなどできないが、しっかりしたことを子供ができるようになるまで、自分がしてやれることはしてやりたい。」

 

生きた言葉だなあと感嘆しました。

結果を出せなければ僕の存在意義に関わるぞ、と気が引き締まります。